志津三郎兼氏

志津三郎兼氏は、南北朝時代前期に活躍した美濃国(現在の岐阜県中部、南部)の刀工である。出身は大和国(現在の奈良県)であり、「大和伝手掻派」の刀工であった。初銘は「包氏」と切った。その後、「相州伝」を学び、「相州伝・岡崎五郎入道正宗」の高弟「正宗十哲」の一人となった。文和年間(1352年~1356年)に美濃国多岐荘志津郷に移住し、以後、「志津三郎兼氏」と称した。兼氏の死後、弟子たちが直江村に移住し、「直江志津派」を名乗り、彼の作風を継承した。作風は、美濃伝に相州伝の要素が加味されている。地鉄は、板目に杢・柾目が交じり、強く錬れて詰む。刃文は、焼幅の高い互の目乱を焼く。地刃は、明るく冴える。 名品・名物を作刀し、古来より愛蔵された作品が多い刀工であるが、在銘品は稀有である。 

代表作

重要文化財 刀 無銘 分部志津 文化庁所蔵

重要文化財 短刀 無銘 稲葉志津 個人蔵