尻懸則長

尻懸則長は、「大和五派」の一つである「尻懸派」の実質的な創始といわれている。「大和五派」とは、平安末期から大和国で隆盛した刀工集団で「千手院派」「尻懸派」「当麻派」「手掻派」「保昌派」の五派をいう。

則長の父・則弘が始祖との説もあるが、「則弘」作の刀剣が現存していないため則長をして創始とされている。鎌倉後期の文永十二年頃、奈良東大寺のお抱え鍛冶として「尻懸派」は誕生し、則弘、長男則長へと継承された。目を引く作風は、「尻懸肌」称される地肌。鎬寄りの部分が「杢目肌」、刃縁寄りの部分が「柾目肌」に流れている。

刃文は「直刃」で「小乱交り」や「玉垣刃(互の目乱れが揃った刃文)」が見られ、「二重刃」や「掃掛け帽子」が交っている。代表作は、重要刀剣「脇差 銘 大和尻懸住(則長)」、特別保存刀剣「短刀 金象嵌銘 則長」