注連丸行平と徳川家

「注連丸行平」は徳川家康の遺品分けで二代将軍徳川秀忠に承継された。その後、三代将軍徳川家光、もしくは、四代将軍徳川家継に引き継がれ、徳川家光の三男、甲府藩初代藩主徳川綱重の所有となった。

徳川綱重は、常時江戸城勤番であったため、明暦の大火(明暦3年)で江戸城炎上のさい、「注連丸行平」は焼失した。鍛え、刃文、拵えの詳細な記録はなく、刃長のみが二尺七寸三分五厘とわかっている。

「注連丸行平」には、焼き直しではあるが、明治期まで存在したという説である。初めは足利義輝の所蔵であった。

その後、松永久秀が所有した。江戸時代になると播磨国三日月藩主森氏が代々受け継いだ。森家の伝承によると豊臣秀吉から下賜されたという。