「魂」から生まれた作法、礼法

「打刀」と「脇指」その両方を帯刀する「大小」の習慣が生まれたのは、天正年間のことと言われているようです。その後、間も無くして新刀期と呼ばれる時代に入っていくとされています。大小は、江戸時代になる頃には武士の儀礼とされていたようで「大小拵え」と呼ばれるように、柄・鐔・鞘などの外装を整えるような習慣ができたようです。また、外出時には常に帯刀し、家でも座の近くの刀架に掛け、トイレなどの時にも脇指を携えたほど、肌身離さずの道具とされていたようです。しかし、中には刀を置くべき場所が決められていたのもわかってきているようです。それは、蹴鞠の場、風呂、貴人のそば近くに伺候する場では、打刀を差さないのが作法とされていたようです。また、茶席などは脇指なども帯びず、丸腰で入るのが作法とされていたようです。そういった場合は、待合にある刀掛けに掛け、その座の主人は自分の小者に渡し、脇指は客の刀の下に立てかけるのが作法とされていたようです。武士の刀剣の礼儀作法で重要視すべき点は、他人の佩刀を見る時にあると言われているでしょう。現在でも、所蔵の刀などを見る際の様々な作法にこの礼は受け継がれていると言われていますが、相手が刀を出して見せたら、すぐに自分の刀を出して相手の脇に置き、相手を丸腰にさせないという礼儀でしょう。刀は、身分証であるより先に、武士の護身具であり、それより先に「魂」とされたことで、いかなる時も相手の武士への礼を疎かにせず、形式張った作法が重要視され、また、守られてきたのではないでしょうか。その精神性は、現在でも「剣道」や「居合道」のうちに、作法・礼法が生きていなければならないのではないでしょうか。